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珈琲案内人りん

Author:珈琲案内人りん
珈琲豆屋の”案内人”やってます。
珈琲の味に限らず、珈琲の世界すべてが面白いので、
自分の中で、コーヒーにつながったことなど をつぶやいています。

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「飲むな」と言われたら
「~をするな」と言われることは、「~しなさい」と言われるよりも苦しい。
…のかもしれないな。


          


もし今、「珈琲のことを考えるな」と言われたら、
私にはできません。
「珈琲のことを一切考えてはいけません」とか、
「珈琲を飲んではいけません」と言われたら、

…どうしよう。


お店では、カフェインレスコーヒーも販売しています。
時々、ご出産前の方や飲みたいけど眠れなくなる方、などから
ご注文をいただきます。

これまで漠然とそのご注文をお受けしていた私。
『珈琲が好きで飲みたいのに、飲んではいけない』
申し訳なく情けないことに、その気持ちを共感できたことはありませんでした。


  ごめんなさい。
  お辛いですよね。

別のことに置き換えたら、今までの人生で、
自分にもそういうことがふりかかったことはたくさんあったのに。


うちのお店のカフェインレスコーヒー、
普通の珈琲と比べるとやはり風味は落ちてしまうけれども、
それでもやはり煎りたてなので、みなさん「美味しい」とリピートして下さいます。
カフェインレスコーヒーが、少しでもその辛さを助けてあげられたら、
と思います。




 「~をするな」と言われることは・・・。


         


この前、あるドラマの中のセリフにドキッとして、
その言葉が忘れられないんです。
こわくて、深く深く考えさせられる、
こんなセリフでした。


     ”「死ぬな」と言うことは、「死ね」と言うよりも残酷だ。”






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りんのひとりごと | 22:45:29 | トラックバック(0) | コメント(4)
珈琲屋の、秋。
秋の一日は、とっても短い。



毎日いちにち、珈琲豆屋に居ます、
朝の珈琲店、お昼の珈琲店、夕方の珈琲店、夜の珈琲店。
…それぞれ、雰囲気が異なります。


              


先日、近所の上品なご婦人が珈琲豆を買いに来られました。
家にご病気の方がいらっしゃるので、あまり自由な時間のない方です。
でも、

  「珈琲、少し召し上がっていかれませんか」
  「…そうね、じゃあ、・・・いただこうかしら」


夕方でした、
お店には西の日差しが入ってきます。
その日は雲がまだらにあって、ちょっと不思議な夕焼けでした。

お疲れのご婦人は、「ああ、美味しい、」とホッと息を吐いて、

ゆっくり一杯召し上がる間に、日が落ちました。




その翌日。
ご婦人がパタパタ…と小走りにご来店、
「昨日、できたの、恥ずかしいけど、こんなの、
と言って、一片の紙を私の手に。

あきゆうひ

「今月の句会に出そうと思ってるの」、って。



              


珈琲豆屋で、こんな交流をさせていただいています。
幸せに、思います。




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りんのひとりごと | 23:21:27 | トラックバック(0) | コメント(5)
乗ってます
焙煎珈房NONAKAの駐車場

窓から見えるのは、お隣の塾の駐車場と、うちの店 焙煎珈房NONAKAの駐車場。
窓に沿ってこちら側だけが、うちの駐車場です。

お客様はこの窓を背に、カウンターに向かって座られます。

カウンターをはさんで、私は、お客様と向かい合う形で、
つまりこの窓に向かって、コーヒーを淹れるのです。

 


先日、お客さんがとても少なかった日、
よく来て下さる男の子が ポツッ とご来店、
窓を背に、カウンターに座りました。

  りん 「今日は静かだよ、みんな遠出してるのかな」
  男の子 「みんな帰りに来るかもしれませんね」



そんな会話をしていたら、
駐車場に一台の車がギュイン、と入ってきました。


ピー、ピー、ピー、とバックしてくる、

真面目にコーヒーを淹れてて、ふっと顔を上げたその瞬間、
…私の目に飛び込んできたのは、


子どもが乗ってますシール


バックに貼ってあった、このシールでした。






テーマ:こんな事がありました! - ジャンル:ブログ

りんのひとりごと | 22:02:36 | トラックバック(0) | コメント(5)
組体操、安倍さん、珈琲のために、お願いだから、
学校の運動会での組体操がどんどん大きくなり、
ケガ人が続出、というニュースを観た。
組体操は運動会では最高の見せ場で、
感動してもらいたいためにそこまで大きくなったんだとか。

   …ふぅーん…。


      



ずっと考えていることがあります。



  安倍内閣になってから、どうも気持ち悪かった。
  何にでも名前を付けている。
  政策一つ一つにやたらネーミング、
  やたらパフォーマンス
  で、いかにもすごいことしているように見せかける。


      …そう、パフォーマンス



名前をつける方が分かりやすいじゃん、ってこともあるかもしれない、
けど、だまされているように思うんです。
なんとなく まとまってるような名前つけて、
中身は 辻褄あってない とか、空っぽだったりとか、



そいいうのってどこから始まっているのか分からないけれども…
世の中に蔓延してるように思うのね。




例えば、イベント

昔よりも”イベント”っていうのが盛大になってきてる、ような。
昔はイベントなんてそれこそ、お正月やクリスマス、お祭り、くらいのものでした。
現代は何かと イベント 。
イベントだらけ。
あっちで〇〇会、こっちで××会、

それに乗っかってワイワイしないと、本当に楽しめないの?
…っていうか、本当に心から楽しんでるのかな?って思う。

『サプライズ』とかね、
そんなことまでしなきゃいけないの?



運動会の組体操も、なんですか、

 「組体操が大きければ大きいほど 父兄たちの感動が大きく、
                         感動して泣いてくれる人もいる」


から、どんどん大きくしようと思うらしく、


…は?それって、誰のための運動会?
子どもたちは、父兄を喜ばせるためにパフォーマンスしなきゃいけないのか?


確かに組体操は分かりやすい、成功したらおおっ!てなるだろう、
でも、
…え?そこ?
自分の子や友達たちが一生懸命走ったり転んだり踊ったり、
純粋に一生懸命やっていること そのこと自体に、感動しないの?

そんな、分かりやすくしてくれたものに乗っかることが、感動、なの?


    それ、ちがうだろぉっ?!


分かりやすいものは助かるよ。
でも、過保護はごめんだ。
人を狂わせると思う。能力を衰えさせてる。
解らない、だから訊ねる、調べる、やってみる、
そうやって解決すればいいじゃん。ダメなの?
「やってあげる」「やってあげる」ってさ、…頼んでないのに。
パフォーマンス的なものって、ほとんど表面だけなのにさ。

人間には、本来、もっと、
感じる力が備わっているんじゃないかと思うんですけど。


食べものも飲みものも。
野菜も果物もどんどん甘くなり、
食感はモチモチふわふわ、

あふれる添加物で過剰に味付け。
感じる力を麻痺させる。
ほのかな、小さな小さな、ちょっとした風味を感じない、
いや、実は体では感じているのに、頭で気づくことができなくなってるのかもしれない。

世にあふれるパフォーマンス的な情報 イコール 自分の感覚 、と信じ込んで、
たくさんの人が「美味しい」というものが「美味しい」ものなのだと、


           ああ、


パフォーマンスをやめてクレ。
そうしないと、珈琲界が迷惑します。
コーヒーは、微妙な味の違いが大事な大事な感動に繋がるものなんだ。

そんなパフォーマンスしてくれなくたって、

コーヒー1杯の中には、ほのかで大きな感動がある。


          



幸せも、感動も、
ほんの小さなところにあります。

組体操の大きさではなく、
子供の表情に、行動に、感動できるような世の中になってほしい。

カッコつけた容器に入った甘いパフェみたいなコーヒーではなく、
1杯のコーヒーの中に見え隠れする甘味に、
感動できるような世の中に、なってほしいんです。





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りんのひとりごと | 21:00:44 | トラックバック(0) | コメント(2)