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珈琲案内人りん

Author:珈琲案内人りん
珈琲豆屋の”案内人”やってます。
珈琲の味に限らず、珈琲の世界すべてが面白いので、
自分の中で、コーヒーにつながったことなど をつぶやいています。

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いいじゃん、別に!
やられたぜ クダラナイ、
なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ。
黙ってニコニコ聴いてると思ったら大間違いだ イイカゲンニシロ。


以前、書いたことがある、あの、オジサン。

「焙煎する人と違って、淹れたり売ったりするだけの人は、そんなに珈琲好きじゃないよね、
珈琲のこと知らないよね」
って言った、あの人。に、またやられた。


いろいろいろいろしゃべった後、
「最後に一つだけ質問させてー。」と、



     自分が淹れた珈琲を、美味しくないって言われたら、
     「文句言うなら飲まなくて結構、他へ行け、
     美味しいと思う人だけ来てくれたらいいんだ」っていう方?
          それとも、
     そのお客さんが、こうすればいい と言ってくれたら
     そのお客さんの言うとおりにして、喜んでもらうようにする方?」





                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は・・・・・・・・・・・・・・・・・・?





そんなの訊いてどうすんだよ。
そういうの知って、どうしたいんだろう。
だいたい私は、そんなこと、どーでもいいから。




「どっちでもないよ
と笑いながら答えてあげたら、



「だから、どっちか。右か左かどっちか、って言ったら、どっち?」




イヤだなあ。…



テキトウに答えておいたけど、「お姉さんは理屈っぽいね」って言われた。
…そんなこと、あんたに言われなくても何十年も前から自覚してるさ。


こういうことに嫌な気分になってしまうってこと自体が、ムダ。
ムダなこと知ってて嫌な気分になってしまう情けなさ。


      


すごく不思議なんだけど。


そんなに、基準をつくらなきゃいけないのかな。
これは美味しい、これは不味い、って。


体調、それがある空間、一緒にいる人、など、
それによって感じ方は全く変わるものでしょ。


絶対」と言えるものが、この世にあるんだろうか。


旅だって、絵や映画を観に行くのだって、音楽を聴くのだって、
仕事をするのだって、勉強だって、…何だって、


    その環境が、本質の感じ方を左右する。


      



だから言ってんだよ。
どこから入ってもいい、
どこへ行ってしまってもいい。
って。
何となくふっとうちの店に入り、
今まで感じたことがなかった珈琲の面白さ、魅力に
少しでも ぐぐっとなるような体験をしてくれたらいいな、って、


そのきっかけを作りたいだけなんだ。
美味しい!って言ってほしいんじゃないんだ。


この味は、嫌い!苦手!って言われても、嬉しい時ってあるんだよ、
案内人の、りんにとっては。



おかしいですか?



                   理屈っぽいんだよ、りんは(笑)



珈琲の周りの「?」や出来事 | 21:30:22 | トラックバック(0) | コメント(2)
『時計じかけのオレンジ』
Stanley Kubrickのこの名作、
タイトルは何度も聞いたことあるんだけど、
観ようとしなかった。
最近、ある人と話していてこの映画の話になって、
ずっと気になってたから、この機会に調べてみたんだ。


  …あ…やっぱり避けた方がよかったのかな…


すごい衝撃的な映像。
それとともに、すごく複雑な気分になって、
トンネルの中に入ったようになってしまった。


   人間の心が、何かの力によって、道徳的な選択をすることができない状況におかれたら、
   …悪を選ぼうとしても阻まれ、善しか選べない状況におかれたら、

   …そんな場合でも、
   善は、「善」と言えるのか?


   心の中において、
   「善」と言うのは、「悪」があって初めて、対照的に、善いこと だ。

   世の中全部「善」だったら、
   「善」は「善」と言えるんだろうか。
   悪が選べないのなら、善は、あたりまえになっちゃうんじゃないか?




…いややっぱり、この映画、劇場で観たい。
DVDとかじゃなく、ちゃんと観てみたいなあ。
んーーー。最後まで観ていられるだろうか


    でも、
    なんかすごく、重要なものが入っていると思うんだ。



       




・・・なんてことで、心の中がもにょもにょ。
その状態のまま、珈琲の仕事をしていて、ふと、



美味しいというのも、マズいものがあるから成り立つのよね、と思った。





珈琲を淹れながら、人それぞれの好みがあるんだなあ、と思い知らされます。
ある人にとってどんなに美味しいものでも、
ある人にとっては逆に不味いものだったりする。


またある人にとっては、どちらでもない



実はこの、どちらでもないっていうのが…
幸せなのかどうなのか。
器が広いのならいいんだけど。


そうじゃなくて、



    美味しい・不味いという秤にかからない。
    味の価値観の中に、珈琲というものが存在してない。

    どんな味も全部「コーヒー」というものであって、
    マズいとか美味しいとか位置づける『気が』ない。

    何を飲んでも 美味しい としか思わない、不味いと感じるものがない。
    口に入れば何でもいい。と言う人の前で、
    「美味しいもの」の価値は、さてどれくらい高いと言えるのだろうか?



…とか、



   世の中に美味しい珈琲だけしかなかったら、
   不味い珈琲が存在しなかったら、
   その美味しい珈琲は、果たして「美味しい」と認識されるのかな?




なんてところにまで、考えが及んでいるのです。




         知らなければ楽だったのに、知っているせいで苦しいこともある。
         でも、「知っているせいで背負うことになる苦しみ」は、
         「知らない楽さ」よりも、
         もっともっと素敵なものかもしれない。


                                          焙煎珈房NONAKA



りんのひとりごと | 20:50:41 | トラックバック(0) | コメント(3)
うたが聴こえる
『珈琲を美味しく淹れよう!講習会』が、3回連続で中止になりました。
申し込みがなかった回と、
「申し込んでいたけれど急用で行けなくなりました」連絡があった回と。


講習する方も その都度勉強になるので、
講習会がないと、何だか勉強サボってるみたいだ。


     

だからと言うわけではないけれど、
豆の焙煎を教わったりしています。


今日も、させてもらいました

   IMG_0107.jpg



焙煎機の中で、豆の回る音が変化していく。


わんわんわんわん…
  じゅあんじゅあんじゅあんじゅあん…
    しゃんしゃんしゃんしゃん…
      くぁんくぁんくぁんくぁん…ぱちっ…ぱ…くぁんぱちっ…ぱち…っ…
        ぱっちぱちぱちっ…ぱっ…ちっ…ぱちぱちぱちっ…
          しゅんしゅんしゅんしゅん…
            しゅんしゅんしゅ…ぴち・・ぴぴぴちっ…しゅぴち…ピチぴちぴちピチ!


       豆の、歌、
       声、
       …。
  
    


最近、りんは、焙煎したい気持ちがちょんちょん出てきて困ります。


…焙煎できるようになりたい。…


できるって言うのは、焙煎できればいいかっていうとそうではなくて、
   自分で豆の様子を見ながら、感じ取って、
   それに合わせて動けるようになりたい、
     ってこと。…らしいよ、私が思っているのは。




    この想いって、珈琲を淹れるのと同じ想いだ。



だから、同じなんだろうな。
やりたいことは、音声言語じゃない会話、なんだろうな。

     


やばいやばい。
焙煎に近づいちゃいけないな。




    言語化されてないコミュニケーションは、強くて、コワいからね。


                             焙煎珈房NONAKA





テーマ:コーヒー - ジャンル:グルメ

珈琲の周りの「?」や出来事 | 21:23:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
カッコいいお菓子屋さんに学ぶ
とっても恥ずかしく、申し訳なく、でも、嬉しかったことがありました。


クッキーを、カウンターに置きたいと思ったのです。
珈琲を飲みながら、ほんのちょっとだけ、小さな美味しいお菓子。
ほんの2,3種類。
それで、そのお菓子屋さんの方が来られた時、ちょっとお願いしたんです。
あなたのお店のクッキーをうちの店に置かせてもらえませんか、と。



そして後日、その商品をもらいに行ったんです。
「先日お話ししていたんですが、いただけますか」と。


そうしたら、そこのオーナーさんが出て来られました。
 「ありがとうございます。
 そのお話なんですが、実は、」

  うちの店では、お菓子に保存料を使用していません、
  その分、品質保持の為、店内の温度管理等に気を付けているので、
  あなたの店にその管理までしてもらうのは申し訳ないし、負担だと思う、
  だから、すみません。

  …と、頭を下げられたのです。



あっ、・・・
その瞬間に、申し訳ない!と恥ずかしくなりました。

…そうですよ。ね。
自分たちの店の大事な商品を、託した相手の店で
どんなふうに管理されても構わないわけはありません。
大事な子供をシッターさんにあずける、ようなものです。
そんなに簡単にあずかってはいけないですよね。


「ほんのちょっとだけ」「あるといいな」なんて、私は思っていた。
この「ほんのちょっと」に、このお菓子屋さんの 愛情も信用も責任も、
ギュッと詰まっているのに!


このオーナーさんやお店に対し、恥ずかしく申し訳なく、
大大大反省しました。


それと同時に、断って下さったこのお菓子屋さんを、
あらためて 素晴らしい、素敵なお店と思いました。
その想い。責任感。
本当にすばらしく、感服しました。


こうでなければいけないですよね。
自分の、店を、持つ、ということは。


頭を下げられたオーナーさんの姿が、目に焼き付いています。


       


そして、思い出しました。


昨年のクリスマスに、工房Raku さんの作って下さったクリスマスオブジェを、
うちの店でも販売させてもらうことになった時のこと。


それは、私は事前に何も知らされていませんでした。
相方が、ある日突然、
「これ、売るから」
と、その商品であるオブジェを持って帰ってきたのです。


本当に可愛くて、手づくりなのでちょっといびつだったりして、
その感じがたまらなく良くて、

…どうしよう!と思いました。
この大事なものを、急にここで「売る」と言われても、
何の準備もできていません。


素敵なものなのです。
量産されたものでもなく、手づくりの、心のこもったものです。
並べておけばお客さんが勝手に手に取ってくれるものではありません。


ちゃんとそのオブジェが生きるように、置かなければいけない。
POPも、置き方も。
それは、ただの「仕入」「販売」「売上」なんていうもので済まされるものではない。


  Rakuさんのものを、売らせてもらっているのです。
  Rakuさんのところの、商品なんです。
  Rakuさんの分も、責任を持つ覚悟がいるのです。


私たちは、会社員ではありません。
信用や評価について、バックが責任を持ってくれるわけではない。
自分たちの店には、自分たちで責任を持つのです。

さらに、誰かのものを、名前を借りて請け負うならば、
絶対に、その名前に恥じないようにしなければならない。でしょう?
その人への信用が、自分に、かかっているのです。
軽いことじゃないんです。


一瞬、頭の中が大パニックになりました。
年末の仕事を中断し、
  レイアウトや包材どうしよう…
  こんなに可愛いんだから…

  
Rakuさんのもの、ここで売りたいんだけど、どうかな」って、
ひとこと相談してほしかったな。
何も考えていないと思われているのかな。
いろいろ準備を整えて、心の準備もして、
お客様に商品について訊ねられても、対応できる覚悟ができてから
売りたかった。


     「自分の名前」でなく、「人の名前」において 何かをすることは、
      自分のこと以上に、責任と覚悟が必要だ。
      大変なことなんです。

         

そんなことがありながら、
私は今回のような失敗をしてしまいました。
POPも心も、準備は整えてからお願いしたものの、
品質管理の責任の重さを解っていなかったのでした。



  この小さな個人店をオープンするにあたって、
   開業前の暗中模索も含めて、

  本当に本当に、たくさんの人から、
     色々なことを学ばせていただく毎日です。






テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

りんのひとりごと | 22:31:26 | トラックバック(0) | コメント(2)