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珈琲案内人りん

Author:珈琲案内人りん
珈琲豆屋の”案内人”やってます。
珈琲の味に限らず、珈琲の世界すべてが面白いので、
自分の中で、コーヒーにつながったことなど をつぶやいています。

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”~くらい”がちょうどいい
パンが好きです。
コーヒー豆屋、…なんですが、やっぱり芯は、パンが好き、なのです。


でも、いろんなパン屋さんを訪ねて食べ比べをしたりする”パン好き”ではないのです。
どこのパン屋が一番好き?と訊かれても、「分かんない。そんなに知らない。」と答えます。
でも。でも。
私は、好きと思うパンに、突然呼ばれ、引きこまれてしまうのです。



そんな感じで引きこまれた”パンの写真”がありました。
あっ!と思うパン…”トースト”の写真で、
真ん中にただ一言、

 『食パン好き。』

と書かれている、ある雑誌でした。昔から時々チェックしている雑誌です。
それはそれは、私の”パンが好き”のツボにはまる、すごく満たされる内容でした。

購入してから いつものようにじっくりじっくり時間をかけて読み、見つめ、していた中で、
おおおおおっ!これだ、これなんだ、と、
抱きしめたいほどのぴったりエッセイが載っていたのです。

         
『ピザトーストの時間』というエッセイでした。





               




「世の中には、味を極めないくらいがちょうどいい、と思う料理がある。」という文章で始まります。



      『たとえば、ナポリタン。鋭い旨さを追い求めすぎると、本来の姿ではなくなってしまう。
      ベタッとしたケチャップ味、それがいいのに、極めたトマトソースを使ったら、違っちゃう。

      ピザトーストも、そうだ。


      かつては喫茶店の定番メニューだった。街場の店は食事メニューが揃っていて、
      スパゲッティやピラフなどが出せないような小さな店でも、ピザトーストくらいはあった。
      この”~くらい”というポジションが実に絶妙で、~

       (~中略)

      ~明確な目標設定があったり、”主役を張ろう!”といった気概がある類の料理ではないのだ、ピザトーストは。

      あえて言うなら、
      まず食パンは厚すぎないのがいい。
      最近は何でも分厚いのが流行りで、それが”インスタ映え”するのかもしれないが、
      ピザトーストは映えなくていい。
 
      食パンがおいしすぎてもいけない。
      そこに やや物足りないくらいの量のピザソースがさらっと塗ってあり、
      シンプルな具・・・玉ねぎ、ピーマン、薄いハム、マッシュルームは水煮缶詰の薄いやつで。
      チーズも決して上質なものを使ってはいけない。
      業務用の溶けるチーズ、…満遍なく覆うのではなく、食パンの角がちょろっと見えているくらいに。
      焼き目も部分的にちょっとムラがあるくらい。

     ・・・ほら、結局辿り着く理想は、ものすごくフツーのピザトーストだ。

      そこがピザトーストのいいところ。
      極めない旨さが身上の、街場の喫茶店における 美学の象徴。』

                                    (部分的に抜粋し、まとめたものです。)



               



この文章を読んで、どんなに心がすっきりしたか。
ここ何年も、私が日頃思っていることを、見事に言い表してくれたエッセイ、だったのです。

”極める”のは素晴らしいことかもしれません、いえ、
素晴らしいことです、自分(や、所属する会社など)のためには。
提供する相手に対して、恥じない姿です。

このところ、パン、コーヒー、お酒、…スポーツ、音楽、イベント、旅行プラン、…
何もかも、『こだわりの』『極めた』が溢れるようになりました。

へえ、すごいなあ!と思います。
でも、
極めるのは、こだわるのは、そこではないんじゃないんじゃないか。


何かが違う気がする。
私が コーヒーに携わっている中で、もやもやしていたもの。
近頃のコーヒーブームの中で、違和感を感じていた理由。

それが、このエッセイの文章に出逢って、
解った気がしました。




    普通のことを、丁寧に、お店をやっていこうと思います。  
   
     普通のことを、丁寧に、自分も生きていきたいと思います。 






          ピザトースト




                                 






テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

りんのひとりごと | 19:00:00 | トラックバック(0) | コメント(13)
小さな楽しみ、鮎
8月13,14,15日。
定休日にかけて、お盆休み。でした。

”鮎”というお菓子を作りました。
少し前にどら焼きを作った時、「あ、”鮎”も作れる!」と思って、
この頃に作ろうと決めていました。

       鮎菓子

    どら焼きのような皮…でもどら焼きより少ししっとりくにっとしている皮に、
    求肥が挟まっていて、
    表面に 鮎 の顔、尾ひれの焼きがついているだけの、
    初夏に少しだけ出まわる、シンプルな和菓子です。
    (今回は求肥と一緒に少しだけ 餡 も挟みました。)


コーヒーゼリーの記事で書いた、私のおばあちゃん。
祖母は、この”鮎”が好きでした。
と言っても、亡くなった後で母から聞いたので、祖母から直接好きという言葉を聞いたわけではありません。
…祖母は、このお菓子のどこが好きだったんだろう。
今会うことができるなら、訊いてみたかったな、と思います。


今、和菓子の中で この”鮎菓子”が好き、という人は
そう多くはないでしょう。


  枇杷も好きでした。
  すいかも好きでした。
  まくわうりも好きだったそうです。
  祖母の好きだったものは、旬が短いものが多かったように思います。


それだけ昔は、季節の移り変わりを大事にし、
その時期だけのものを楽しみ、愛でたのでしょう。
今のように、年中いろいろなイベントがなかった時代、
季節が移り変わるその自然現象自体が
心をささやかに動かす小さな楽しみだったのかもしれません。



          


おばさんだから、と言えばそれまでなのですが、
私は今の時代の時間の流れに着いていっていません。
ひとつひとつの事柄に頭や心が向きあう時間が長すぎて、
次に来ることに移ることができずにいます。

新聞すらもその日に読み切れず、
いつも1ヶ月くらい遅れてじっくりじっくり読んでいるのです。
テレビも雑誌も、ましてインターネット上の話題など、
とてもじゃないけど…頭がパニック。

  みんな、すごいなあ。
  どうやってひとつひとつの事柄を理解し、自分の中で処理しているんだろう。
  そんなにも、そんなにもたくさんの大事なことが、世の中にあるんだろうか。



     なんていうか、私は、こうして、
     季節を感じる和菓子をちょこっと作ったり、
     散歩に出たら 田んぼの稲がいつの間にか穂をつけていたり、
     どこかから風鈴の音が聴こえてきたり、
     ・・・そういうことの方が ずっと大事だな。



過敏すぎてちょっと面倒な病気を抱えてしまっているのだけれど、
もし 祖母の時代に生きていたら、私は病気にならずイキイキしていたのかもしれない、
なんてことを思うお盆休み、でした。



          



季節がもしなかったら、
どんなにつまらない、苦しい日々になることでしょう。
短い短い春や秋、
最高気温52℃、突然の豪雨、
世界中でとんでもない自然の暴走がおきています。
テクノロジーだけでは人間は豊かになれない、
自然あっての生物なのだと自覚して生活しなければ、





   ・・・ああ。
   またこうやって 一つのことを考えるのに
   時間かかってます・・・。






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りんのひとりごと | 21:00:00 | トラックバック(0) | コメント(7)
叶っても、叶わなくても
7月7日。七夕。
今年も6月中旬くらいから いろいろなところに笹が飾られ、
みんなが書いた短冊がひらひらと揺れていました。
私は時間があるときは、その短冊をじっくり見ます。

  七夕が 好きです。
  …七夕、好きです。
  世の中にある”行事ごと”って、私はとても苦手で、馴染むことができないのだけれど。
  七夕だけは、なぜか好きなのです。


   ねがいごと短冊3


いろいろ個性豊かな”字”が、揺らめいています。
この子は 2歳くらいかな。
この子は 小学生かな。
この人は 高校生だな。
ああ、これは 大学生。
これは、 大人が書いてるな。

文字にも年齢はだいたい表れる。
そして、ねがいごとの内容にも。

    『おとうさん』
    『アイスがたべたい』
    『アンパンマンがきますように』
    『さかあがりが10かいできるようになりたい』
    『〇〇試験に合格しますように!』
    『彼女 大・大・大募集!!』
    『家族みんなが健康に暮らせますように』
    『災害のない世の中になりますように』


   ねがいごと短冊1

   ねがいごと短冊2


・・・みんなの、ねがいごと。


小さい頃ほど、小さく素直で 人間の基本的な欲求、
または実現しようがない果てしないレベルの夢世界、が書かれてる。
大人になるにつれて 複雑で具体的、
目的ははっきりしているのになかなか手に入らない幸せについての希望が書かれてる。


子どもの夢、未来は大きいんだな。と、あらためて思う。
みんな、「このねがいごとは、叶う!叶う!」と、信じている。
大人になると 背負うものが大きくなり、
”ひょっとしたら” 叶うかもしれない、でも叶わない現実がありうると納得したうえで、
それでもいい、もし叶わないとしても それに近い未来でありますように、と「願って」いる。


叶わない夢は、人生でたくさんたくさんある。
こんなはずじゃなかった、そう思うことが、たくさん。
子どもの頃は、叶わないという割合はすごく小さくて、
叶う!割合が大きいんだ。
   夢が、希望が、
   ねがいごとがある ということは、
   この先 生きていくんだ!という自信とエネルギーがある、っていうことなんだ。
   『生きたい』という、ことなんだ。


・・・私にも、そんな頃があったんだろうな。


みんなの短冊を読みながら、そんなことを考えるのです。


            



わ~っ!と騒ぐお祭りごとと違って、
七夕は、七夕だけは、好きなんです。

もう自分が予想する長さの人生も 半ばを過ぎてしまった私には、
欲しいものなど ありません。



でも、でも、そう、
願わくば、


珈琲の生産地の人々が 正しく評価されて、
少しでも豊かで幸せな生活を送れますように。

そしてそのおかげで、
世界の人たち ひとりひとりが少しでもゆっくりと、
おいしい珈琲を味わう時間を持つ生活が 続けられる未来でありますように。




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りんのひとりごと | 21:00:00 | トラックバック(0) | コメント(4)
夏の楽しみ。。。
コーヒーの寒天を、作りました。

   コーヒー寒天

コーヒーだけでもよかったのだけれど、
そうだ!と思って 牛乳寒天と2層にして仕上げてみました。
(コーヒーが薄すぎて、失敗したんですけど、、、)





暑くなってくると、食べたくなるもの。
暑くなってくると、ああ、あの季節だ!と思うものが あります。

  コーヒーゼリー。
  甘さひかえめの。
  クリームとかアイスクリームとか オシャレに飾られていない、
  シンプルなコーヒーゼリー。



                     



毎年、必ず思い出します。

今はもう亡くなった祖母は、いなかの松山でも 市街に近い方に住んでいました。
祖母の家から歩いていける距離に ちょっとした繁華街があって、
その通りに”ポエムロビー”という喫茶店がありました。

祖母はそこのコーヒーゼリーが好きでした。
小さい私も、おばあちゃんとおかあさんとお出かけすると、
時々そこで そのコーヒーゼリーを食べたのです。
ほとんど飾りもなく、少しかための、プリッとしたゼリー。
子どもの私には 甘みが足りなかったのかもしれないけど、
なんともいえない 香り と 甘み以外の魅力的な風味 とが
ずっとずっと、心に残っているようです。


なんだか、『コーヒーゼリー』は特別な食べ物で、
美味しーいのを、どこかの喫茶店で、贅沢に、食べるもの。
そんな気がしていました。
喫茶店”という空間で味わうからこそ、
あの”深く苦い大人なデザート”でありうるのです。


家では、母がよく この『コーヒー寒天』を作ってくれました。
コーヒー寒天と、牛乳寒天と、レモン寒天。
ゼリーと違って ぽこっ ほろほろっ とした食感が、おいしかった。
突然、あ、またあれを作ってみよう!と思ったのでした。



  食感って、大事。
  今は・・・どうなんだろう、多くの人が好きなのは
  「ふわふわ」「モチモチ」「とろとろ」「プルプル」 あたりでしょうか。
  グルメ番組の中で、すごく多く使用される擬態語。


私は、しっかりした食感のものが、好き
考えてみると、やわらかい擬態語で表される食感のものが 苦手です。
・・・芯のない やわらかいものが、キライ。
あの”ぷっちんプリン”というのも、プリンプリンし過ぎていて苦手だった。
何年か前から支持されている、”トロトロのとろけるような”プリンも、苦手。
ぽこっ とした、オーブンで焼いた、”焼きプリン”が好き。

  
昔の方が、しっかりした食感のものが多かったな。
きっと、現代人は顎が弱くなっているからなんだろうな。


                     



    コーヒーゼリー2
     こんなのが いいな。

    コーヒーゼリー1
     このくらいも、いいな!




でも、・・・

ああ、昔ながらのコーヒーゼリーが、食べたい。
アイスクリームや生クリームで過剰にもりもり飾られていない、
あのしっかり ”とぅるりんっ” という食感の・・・。

カフェとか コーヒーにこだわった専門店とかじゃなくて、
どこかの町の、古い古い『喫茶店』に、ふらっと入って、


ああ、

コーヒーゼリーを探す旅に、
出たい。









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りんのひとりごと | 21:07:13 | トラックバック(0) | コメント(6)
美味しいことはいいことだ
美味しいから、食べる。
美味しいから、飲む。
・・・それがいちばん幸せだし、それがいちばん体にいいと思ってる。

『美味しいから』 
それじゃいけないの?


               



メディアでは、毎日のように 健康にいいものの話題を放映してる。
  これを食べれば、体にいい。
  これを飲めば、健康で長生きできる。
チャンネルを変えても、そこでもやってる。
世の中には そんなにたくさんの 美味しいもののお店や 体にいいもの があるんですね。

人間の一生も、昔に比べて長い人が増えました。
歳をとって 体のいろいろなところに不健康な部分が出てきても、
命は続きます。
できるだけ健康で暮らしたい、それは誰もが思うことです。
そのためには、ある程度の努力は必要なのかもしれません。

でも、
健康って、肉体だけのことではない。
心も、人間の大事な一部です。
こころの健康は?
どうすれば、保てるのでしょう。
必ずしも、肉体と心がずれていないとは限らない。
なんか、忘れられてないかな。




「コーヒーは一日に3杯~4杯くらい飲むと、健康長寿にいいんだって」
「コーヒーは 食前に飲むのがいいんだって」
・・・この最近、そんな話をたくさん聞きました。
どうやら、コーヒーと健康 について、テレビ番組内で企画があったようです。

私は、そういう話を聴くと なんだか悲しくなります。

 美味しいと思わなくても、無理に3~4杯飲もうとするんだろうか。
 飲みたいと思わなくても、そのタイミングで飲もうとするんだろうか。
 ・・・飲まなきゃいけない!って。

こころの健康は・・・。
          美味しい顔とこころ





               



  美味しいと思う、そう味わえる、その感受性がはたらくこと。
  食べたい、飲みたい、と思う、その意欲。
  それが、大切なんじゃないかと思うんだ。

食べたい、飲みたいと思えないことや、
美味しいと感じられないことは、
もう、それだけで健康じゃない。
それを無理に押し付けたって、不快な思い、ストレスが溜まっていくだけ。
美味しくないし食べたくないのに、身体にいいのかな。

食も運動も、
健康のために こうしなさいよ、
こうしなきゃだめです、
健康志向の人にそう押し付けられると、すごくすごく苦しくなる。
あー、イヤ!もう言わないで!
自分だけでやってよ!
って、なっちゃう。
・・・ココロガ ツイテ イケナインダ・・・って。



               



健康のためにいいから、ではありません。
珈琲は、
珈琲は、

ただ、美味しいと思うから 飲んで下さい。

珈琲、美味しい。
珈琲、飲みたい。

そう思う人がいてほしくて、
私は毎日、コーヒー豆屋に立っています。











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りんのひとりごと | 19:00:00 | トラックバック(0) | コメント(6)
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